おやじギャグの高度な考察

突然ですが、おやじギャグについてです。

まったく受けなかったから、書き出した訳ではありません。

「おやじギャグ」の本質を見極め正しく扱うべきって話しです。

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おやじギャグは、基本、ギャグ系ではなく駄洒落系と思われます。

韻を踏むとか語呂合わせとか、同音の違う意味の語句を合わせてフレーズを完成される系を駄洒落としたとします。

これが「おやじギャグ」と言われてしまうシュチュエーションとは

何なのかの考察です。

 

おやじギャグは基本、駄洒落を言うことから始まります。

「言うことから始まる」

これについて、シュチュエーションという要素が関連してまして

悲しくも、おやじギャグとして切り捨てられるのか

これをキッカケに、ある笑いの領域に見事昇華し、笑いを誘うのか

何か「シュチュエーション」の存在があるのではないかという話しです。

 

ありがちな駄洒落を言う

「おやじギャグ」として低評価を受ける今や死後に近いものをピックアップしますと

  • 電話しても誰もでんわ
  • 布団がふっ飛んだ
  • ドイツ人はどいつだ
  • 店頭で転倒
  • 草刈ったら臭かった

挙げれば、きりが無いぐらいあるのです。

これら言うことが、おやじギャグだとしてしまった場合

ある疑問が浮かびます。

 

「シュチュエーション」ってのが、ありはしないだろうか?

 

例えば「電話しても誰もでんわ」の駄洒落が

使う場面、シーン、シュチュエーションにおいては

それを今、ここで!言うかwww という笑いを誘うと時があるのです。

 

「おやじギャグ」を

ある笑いの領域に昇華させてしまう使い手のセンスもあって

単に「おやじギャグ」と切り捨てられてしまうのか

使い手と、受けて側に、ある空気感を漂わせる事で

つまらない駄洒落が、笑いを誘うシーンがあり

 

つまり

駄洒落の内容が面白いのでは無く

今ここで、それを言うことによって、漂った空気感、場の雰囲気に変化が起こってしまった事が、ある種の笑いを誘ってしまった。

その事について

面白いと感じてる訳で、駄洒落の内容が面白いのでは無いのです。

 

おやじギャグの目指すところは、そこであると定義したとします。

駄洒落自体が面白くて言ってる訳でなく

高度な「おやじギャグ」の使い手は

その定義において笑いと漂わせようと日夜勤めているとものとしたとします。

 

そこでさらなる疑問が浮かびます。

 

受けて側の問題です。

つまり「おやじギャグ」として切り捨ててしまってる受け手側の問題です。

笑いのポイントを感受できるレベルが低い受けて側だと

高度な「おやじギャグ」の使い手は、苦戦します。

レベルの低い受けて側は、ある種の空気感の漂いが感じとれず

駄洒落自体の内容が笑いの評価対象となってしまってる場合です。

 なら「すべっている」となります。

 

しかし

 

笑いが「すべる」

このすべった時、なんとも言えない空気感が漂い

それが!笑いを誘う高度な2段構えの笑いがあります。

 

つまりわざと「すべらせて」、空気感の「間」の演出を行ない

笑いを誘わせる高度なテクニック

高度な「おやじギャグ」の使い手は「すべらせる」を笑いの構造として理解していて

その導入、きっかけ作りに「おやじギャク」的要素を利用しているとします。

 

受けて側がそれを理解したとき、笑いを誘う空気感が生まれます。

つまり「おやじギャグ」が、使い手がと受けて側で

今、笑いを誘う空気感が作り出せたよね!という合意形成が

何がしの意思疎通で生じた時

くっすっとした笑いでもいいし、顔がほころんだでもいいし

笑うことによってある種、使い手側への評価を行なっている高度なコミニュケーションが成立した瞬間でもあります。

 

ここでこれを言ったら面白いと思い発した使い手の能力の力量

受けて側は、使い手の意図を察しそれが面白いと思えば

笑いの場の空気感形成に協力し、笑いとして昇華させる決定者でもありまして

つまり共同作業でもありまして

使い手と受けて側の相性によるところが大きいのです。

 

その相性を探るため

「おやじギャグ」の駄洒落を使って軽くジャブを打ってみたりします。

合意形成に至れるか、コミニュケーション成立の探り入れてるのです。

 

それが「おやじギャグ」の本質なのです。

 

駄洒落自体は何の変哲もなく下らないものなのです。

あっこの人、何かのコミニケーションを取ろうとしているんだ!

そう感じ取った受け手側も

面白くない場合、どう返せば、いいのと困るケースがほとんどですが

無視して、流してしまうのがベストです。

 

受けて側のマナーとしては、下らない場合、とにかく流す流しまくります。

決して「おやじギャグ!」と、突っ込みを入れてはいけません。

とにかく流すが基本マナーです。

 

その無視されてしまう空気感が、また笑いを作ってしまう場合もありまして

本当に「すべってしまった」事が

ある種、稀に笑いに繋がるシーンもありまして

これがさらに高度な笑いの構造だったりするわけです。

 

駄洒落というツールを用いて高度な笑いを形成しようとしいる「おやじギャグ」なのかどかどうか?

そこが笑いの分岐点です。使い手も、受けて側も

これからはそれを見極めてみましょう「おやじギャグ」の本質を!

 

余談ですが

これは日本語の音や韻による独特の会話文化と思えたりします。

日本人ならではの、音と言葉から作り出される遊び心が

コミニュケーションに利用されている。

 

それにまつわる話しとしては

自然界で発せられる音を言葉する感性は、日本人だけってのが秀でて多いらしいです。

夏のセミの音なんかは、外国人からすると、単なる雑音らしく

日本人のように、いろんな言葉にして、音を言葉に表現したりしないそうです。

 

韻や音による語呂合わせ、音に対しての組み合わせ妙味

それが日本語独特

また日本人独特の音と言葉の感性を生み出しているように思えます。

 

一番解りやすいものは

「電話しても誰もでんわ」

これ英語に翻訳したとして、翻訳したとて

事実上、駄洒落としては翻訳不能ですよね

 

それでは、また!