真実かどうかは解りません。だた、ちょっと気になってしまったのです。

20前後でしょうか、男子2人組みに電車賃を貸してほしいと

突然、神戸駅の近くで、声をかけられ

結末としては、2000円を貸したというか、あげたというか

そういことになりました。

 

日払いの仕事で、岸和田から神戸に来ていたらしく

その日当が出なかったらしく、帰りの電車賃が足りないとの事

電車賃を貸して頂けませんか

と声をかけられました。

 

基本的には疑わしい話しで

寸借詐欺のありがちなパターンなのである。

 

目を見ながら、色々と問いただしてみました。

その時、一瞬でも目を離したり、表情に不自然さが見て取れれば

真実なのかどうなのか解りませんが、ともかく断ることにしました。

 

目は真剣でした。ウソを言ってる訳ではなさそうな表情でした。

年齢的な幼さもあるでしょうか、とかかくバカ正直に話してるように感じました。

 

2人の持ち合わせが数百円で、2000円あれば帰れるらしく

切符を買うのを立ち会うのを条件に、電車賃を出すことにしました。

 

とはいえ

99.99% ありがちな寸借詐欺なのです。

この件も例外もれなく

そうに違いないと考えておくのが世間一般的には

絶対的な第一選択なのです。

見知らぬ他人に道中で2000円を渡すなど、ありえない行為です。

 

99.99%とした場合

0.01%の真実は1件ぐらい人生において遭遇するかもしれないが

しかし仮に真実に遭遇していたとしても

絶対的な第一選択が支配している世の中では

それはウソと、決定付けられ、いくら本当でも

まず助かる見込みがないのが、今の世の中といいましょうか

 

彼らが、とった行動は

限りなくゼロに等しい可能性へのトライでして

もし少しでも可能性を上げるとしたら

こんなこと言うとよろしくないのですが

オレオレ詐欺のように、お年寄りに話しかけるのが

可能性おいては、そういった輩のとるべき行動でしょうか

なのに僕だった訳ですw

 

絶対的な第一選択によって、救われることののない

「0.01%以下の真実かもしれない」を救ってあげる賭けに出てみたくなり

お金を出してあげる事にしたのです。

 

切符を買う券売機の前で

相手はお金を返すので、連絡先を教えてほしいとの事でしたが

それを断り、差し上げるという事にしました。

 

ただし、これで本当に助かったと感じ感謝しているのなら

絶対にその気持ちを忘れないようにして下さいね!と

もう一度、目を見つめました、

彼らの目は、やはり真剣でした。

 

真実なら、彼らは恥を偲んで助けを求めてきたのですから

報われて良かったと何かを感じているでしょうし

ウソなら、僕は大バカものでしょうし

真実はどうなのか解りません。

 

だた、何故偶々そこを通り掛かった僕に声をかけたのか

最も声をかけてはいけないであろう僕に何故声をかけたのかw

適当に声をかけていた訳でもないような気がしましたので

そこがちょっと気になってしまったのです。

 

また神戸で、出くわす事もあるでしょうか

その時、返してもらいますw

これもまた0.01%以下の可能性でしょうか

おそらく可能性としては、存在しない未来の可能性です。

それは確かに存在しなかったとなっても

それに賭けるのが人間性において追求すべき

別の事柄にも繋がっている真理ではないのだろうかと

存在すると信じるという行為が、未来の可能性として存在させる。

つまり可能性という事象は、人間が信じるからこそ具現化する存在であって

もっと極端に言えば、人間が居なければ、可能性もくそも存在しえないのである。

量子力学の人間による観測問題的な発想ですが

今日起きた出来事のブログを書いてて、ここまで広げてしまいましたです。

では